「認知症と人間の尊厳:パリ郊外の老人ホームでのジャンヌの暮らしから」

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はじめまして、私は主に仏語を専門に翻訳や通訳の 仕事をしている

「青山真帆(あおやま まほ)」です。

今回お届けするのは、私とフランスの友人との小さな物語です。

 

私には2010年までの13年間、パリジェンヌの友達がいました。

彼女の名前はジャンヌ。 知り合った1997年当時、彼女は既に70代後半で、

日本で言うところの後期高齢者でした。

私の仕事を通じて知り合えた、親子以上に年の離れた友達でした。

ジャンヌは私がパリにいる間は、自分のモンパルナスのアパルトマンに 泊めてくれたり、

部屋を数か月貸してくれたりしました。

私もその後、日本や海外から何度も絵葉書をジャンヌに送り、 13年の間に交わした手紙は

相当な数に上りました。

 

そして2009年頃、ジャンヌからの返信が途絶えるようになった時、

彼女の孫娘から次のようなe-メールが届きました。

「ジャンヌはアルツハイマー病が酷くなったため、モンパルナスのアパルトマンを手放して、

パリ郊外の老人ホームに入居する事になったの。 だからジャンヌに手紙を書くなら老人ホーム宛てに

送ってあげてね。」

 

それから私は何通か老人ホーム宛てに手紙を送りました。

認知症で自分の子供の顔や名前すら判らないのに、外国人の私に 返事が来るはずもありません。

しかしその年のクリスマスに、思いがけずジャンヌから手紙が届きました。

手紙の様子では、意識や記憶がしっかりしており、一時的に認知機能を取り戻したかのように思えました。

 

翌2010年の初夏、私は仕事でパリを経由する事となったため、 ジャンヌの住んでいるパリ郊外の

老人ホームを訪ねる事にしました。

電車とバスに揺られる事1時間半程度だったでしょうか。 豊かな自然の中にそのホームはありました。

介護士さんにジャンヌの部屋番号を 教えてもらいドアをノックすると、

彼女はベッドに横になっていましたが、 私の顔を見るなりすぐさま起き上がり、

パッと華やいだ笑顔を見せてくれました。

ただ私が誰なのかは判っていないようでした。

私の事を新人の介護士さんと勘違いしているようにも見受けられました。

 

駅前で買ってきた花束を花瓶に活けると、ちょうどお昼時となりました。

私は老人ホームのスタッフさんからジャンヌを食堂に連れて行くよう頼まれました。

1階にある広間の大テーブルでは既に7~8人の入居者さんがランチを 待っていました。

ジャンヌは自分の席に着き、私はそこから2メートルばかり離れた場所から、

ジャンヌや他の入居者さんが揃って食事をするのを眺めていました。

私の隣には個別の小さなテーブルがあって、車椅子のお婆さんが同じくランチを待っていました。

多分このお婆さんが大テーブルから離されていたのには理由があるのでしょう。

お婆さんのつぶやきや妄想のような話に相槌を打ちながら、私は2メートル先のジャンヌの姿を

観察していました。

 

フランスの家庭では毎日フルコースを食べる訳ではありませんが、 それでも、アントレ(前菜)、

メインディッシュ、チーズ、デザートといった具合に、 順番に皿が出てきます。

そしてこの老人ホームでも、その鉄則は守られていました。

この日のアントレは、キャロット・ラぺと言うにんじんサラダでした。

テーブルの入居者さん達は皆、介助者の手を借りずに自分で食べていました。

黙々と食べる人、隣の人とお喋りする人…。そしてその後、介護士さんが言った言葉を聞いて

私は自分の耳を疑いました。 「さあ皆さん、今日のメインは子羊のリブステーキですよ!」

 

「子羊のリブステーキ…?」日本では誤嚥を防ぐため、とろみ食、きざみ食やミキサー食が

介護施設で提供されている場合があります。

それから考えると、歯も弱いであろう高齢者にリブステーキを提供するなんて、

私にとってはあり得ない話でした。

仰天している私をよそに、次々と入居者さんの前に美味しそうな匂いを漂わせる

 リブステーキが運ばれてきます。

ひとりの入居者さんが「いつも量が多いって言っているのに、

相変わらずたくさん出てくるのよね」とこぼしているのが聞こえてきました。

フォークとナイフを使って自分で肉を切る事が出来ない入居者さんに対しては、

介護士さんが肉を一口大に切り分けていました。

ジャンヌは丁寧にナイフとフォークを使っていつものように優雅に食べていました。

ほぼ全員がステーキを完食する事は出来なかったのですが、次にはデザートが待っていました。

「今日はチョコレート・ムースですよ!」食事介助の場面に介護士さんはほとんど

登場しませんでしたが、「〇〇さんのデザートはいつもの桃のヨーグルトね」等と、

個々人のニーズに合わせて対応しているようでした。

 

また、食事に時間をかけるのはフランス人特有ですが、ここでもそれは同様で、

昼食が終わるまでゆうに2時間はかかったでしょうか。 

この老人ホームでは、食事の内容も食事にかける時間も、元気だった頃と

全く同じようにしているのです。

その一方で、入居者さん達は多くを食べ残しておりそれらは廃棄されるのでしょう。

日本人の視点からすると「モッタイナイ」です。

また、食事として固形物を提供して誤嚥や消化不良をおこしてしまったら大変です。

しかしそれでも、例え認知症になって周りの人が誰だか判らなくなっても、

入居者さんがそれまで暮らしていた生活と出来るだけ同じような 生活を送れるようにする

という考え方は、その人の尊厳を大切にする事であり、

フランスの人権意識に根差したものだと感じました。

 

この考え方はレクリエーションにも表れていました。

老人ホームには小さな劇場が併設されていて、時々お芝居やコンサートが開かれるのだそうです。

そこは老人ホーム以外の町の人々にも開放されていて、入居者さん達は元気で暮らしていた頃と

同じように、 観劇の日にはお洒落をして出かけるのでしょう。

ジャンヌも映画と音楽が大好きでした。

 

もうひとつ気づいた事は、介護士さんが入居者さんに対して必ず「敬語」を用いて話す事で、

それもファーストネームではなく苗字で「ムッシュー〇〇、マダム〇〇」と呼びかけていた事でした。

相手の認知機能が低下してしまっていても、人生経験豊富な人生の先輩として敬う、

そのような姿勢を私は感じました。

 

色々と考えさせられたその老人ホームを後にした私に、1か月後、ジャンヌが亡くなったとの知らせが

届きました。

心不全により90歳の命を終えました。

あの老人ホームで、ランチが終わった後、 窓の外に広がる青空をジッと眺めながら、

ジャンヌが私に語りかけた最後の言葉が今もなお耳に残っています。

「私は今、自分がどういう所に居るのかを知っているの。そして、ここで私がしなければならない事、

それは、 どんな境遇に置かれようとも、生きていくという事なのよ。」

最期の時まで、ジャンヌは誇り高く人生を生きぬいたのでした。

 

私は仕事柄、日本とヨーロッパを行き来しています。

今後も折に触れ、現地の高齢者事情をレポートしたいと思っています。

日本の高齢者の方々へのメッセージとして受け取っていただけると幸いです。

 

(執筆)任意後見サポーター・翻訳家 / 通訳者(仏語) 青山真帆

(監修)一般社団法人 任意後見サポートクラブⓇ